子どもの頃からドラマ3年B組金八先生をよく見ておりました。
一番好きだったのは第5シリーズでしたね。兼末健次郎の悪っぷりが最高で、それを厳しくも暖かく包み込みながら健次郎の心を解きほぐす金ぱっつあんとのやり取りが、もうね涙なくしては見られませんでした。

それはさておき、本日のお題は金八先生第2シリーズの主題歌、海援隊の『人として』の歌詞についてでございます。

 

遠くまで見える道で 君の手を 握りしめた

手渡す言葉も 何も ないけど

思いのままに 生きられず 心に石の礫投げて

自分を苦しめた 愚かさに気付く

私は悲しみ繰り返す そうだ 人なんだ

 

「思いままに生きられず 心に石の礫投げて 自分を苦しめた愚かさに気付く」

歌詞のこの部分。ちょうど、メンタルがマックスにやばかった27歳の時に、この曲をよく聞いていたのですが、歌詞の上記の部分が全く理解、納得できなかった。
私は海援隊の歌がすごく好きで、この『人として』も大好きな曲の1つです。しかし、どうしてもその当時、この部分が納得できなかった。
「なぜ、思い通りにできない自分、努力・がんばれない自分を責めてはいけないのか。責めて、できない自分を否定して、できる自分に変えてかなきゃ」「ダメなところをあぶりだして直していかなきゃ成長しないじゃないか」「苦しみのないところに成功、成長はない」「成長のない奴はだめだ」「それができない俺はだめな奴だ」
まあ、挙げればきりがないくらいそんな思いを抱きながら生活をしておりました。

その当時、大学に在学していながらあることに挑戦しようと休学状態、その状態ももう3年目を迎えたときでした。
挑戦を始めた時と何も変わらず、自ら挑戦しておきながらうまく行かないことから何も手につかず、ただ悶々とその先のできない自分の人生を恐れて、どうしようどうしようと嘆きつつ、ただできない自分を責めておりました。
そんな精神状態も極限を迎えたある日、突然、味わったことのない恐怖と脂汗、このまま死ぬんじゃないかといった、表現できないほどの感覚が襲ってきました。もう、うずくまるしかなく時間が過ぎるのをただ待つしかありませんでした。そんな日が何日か続き、精神科を受診したところ、鬱とパニック障害と診断されたわけでございます。

そのことがきっかけで、挑戦をあきらめざるを得ない、いやもうここでいったんやめよう、そう決心がつき、復学するという道に戻ったわけです。挑戦をあきらめたくやしさよりも、諦めと脱力によりこれまでにない安堵感に包まれました。
以前のわたしであれば、諦らめは成長の停止ととらえ、その後の人生の恐怖しか感じませんでしたが、鬱とパニック障害という精神に明らかな症状が現れ、恐怖を感じる余地がありませんでした。とにかくもう楽になりたい…。
その時に人生で初めて、何もないただの自分、今まで自分が否定してしてきた自分をありのまま、そのまま受け入れてみよう、そう思ったのです。そして、心の中で自分を強く抱きしめ許しました。何もすることなどない、そのままでよいのだと。その時涙があふれてあふれて止まらなく、すべてが浄化されたような感じでした。

まさにそこで「自分を苦しめた愚かさに気づ」いたわけです。
この『人として』は自分をありのまま受け入れるという気付きのきっかけを与えてくれた歌だと思います。

 

その後、大学に復学してからの講義では、今まで感じることのできなかった発見が多々ありました。そして、見るもの聞くものが今までとは違った視点、まさに世界が一変したような感じで、残りの大学2年間は最高に充実したものになりました。

逆説的ですが、できなくてもよい、だめな自分でもいいじゃんと受け入れると、そちらの方が活力的、そして持続的に物事に取り組めるようなるではないですか。本当にこれは不思議なことです。

もし、今の自分を受け入れられない、そのままの自分を受け入れられず苦しい思いをしていらっしゃる方がいましたら、どうかどうかそんな自分を無条件で許してあげてください。
心の中のイメージで、今までよく我慢してきた、よく責められても責められても我慢して生きてきたねと、自分を強く抱きしめ許してあげてください。

苦しんでいる貴方。ぜひ、どんな自分でも許してあげてください。無条件で。
貴方は解放され、世界は一変します。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

 

 

著者

のび

40代無職。色々あって30歳で大学を卒業。 その後、都内の会社へ就職。10年ほど勤め、諸事情にて退社。 今はのんびり暮らしの日々。たまーに元の会社の仕事をしたり。 なーんでブログやるかっていったら、これまでの色々あったことが、誰かの心をふっと楽にできたりするんじゃないかと思ったから。 まあ、雑記なんでそんな話ばっかりじゃないと思うけど。