この世は幻、バーチャルリアリティー、そんなことをブッダは何千年もの昔宣うておりました。
幻であれば、私たちの意識はどこから来ているのだろう。どこから来ているのかは分からないが、なぜ幻なのか。意識があるのに幻とはどういうことなのか。そんな数知れない疑問がたくさん湧いてくるのでございます。
哲学、宗教、様々な学問がそれらの答えを追及し、そして様々な解釈がなされてきた。そんな中ある実験で、幻であるという入り口へ導いてくれるような結果がもたらされた。
1980年代、カリフォルニア大学サンフランシスコ校で、人の「意識」や「意図」に関する実験を行った。その実験内容は、人が指を動かそうとするときの意思と筋肉を動かそうとする脳のニューロンの運動準備電位が、どのようなタイミングで活動するかを測定した。つまり、何かの行動、思考をする際、人の意識と無意識はどちらが先に反応するかの実験だ。
その結果は、…………
0.35秒無意識が先というものだった。
つまりは、私たちが日々決断していることは、すでに無意識が決定していることをあたかも自分(顕在意識)によって決定していると思っているに過ぎないのである。
私たちが意識できることすべてが、無意識によって決定されている。それを後からの理由づけによって自分(顕在意識)が先に意思決定してるという錯覚をしているのだ。例えば、目の前にある本を読みたいと思ったから本を手に取ったとしても、それは無意識での行動に後から読みたいからという理由づけをして行動したということになる。
私たちが自分であると思っているものは、自分では意識できないものの決定によって、自分と思わされているまさに幻ということにならないだろうか。
ブッダが宣うたこの世は幻。なんとなくその入り口に立ったような気がしないだろうか。
参照:前野隆司著『脳はなぜ「心」を作ったのか』『錯覚する脳』